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エピソード5.創造への挑戦は、終わらない。
エピソード5.
創造への挑戦は、終わらない。
「よそでやって売れたからといって、すぐそれと同じものを作るようなことは、うちは伝統的にやっていない。よそに追従することを潔よしとしないんです」。1962年の富士電機社内報で行われた座談会。そこで出たこの言葉には、ものつくりに対する理念、いや、それのさらに奥にある企業の性分のようものが感じられます。座談会のテーマは、その時代、国内でブームとなっていたジューサー。言葉の主は、当時の家庭電器部長でした。
富士電機が国内初のジューサーを開発発売したのは、1955年のこと。料理用のミキサーが売れ出したころ、ドイツ製のミキサーを参考にしながらも、「うちは今からミキサーをやってよそのマネはしたくないから、少し変わったものを」という当時の専務の考えから着手したものでした。しかし当初はまったく売れず、1台売るごとに損が出る、という状態が5、6年続きました。
それでもあきらめない技術者魂。数少ない愛用者のためにと、コツコツ改良を重ねていたところ、ついに潮目が変わるときがやってきました。週刊誌に、ある国会議員が健康のためにジューサーを愛用しているということが紹介され、それをきっかけに問い合わせが殺到。さらに、各界の愛用者による「ジューサー友の会」の運営、「ジューサー一週間貸します」などのプロモーションによって、全国にジューサーブームが到来。まだ貧しかった日本の食生活改善に、一役買う商品となったのです。
新しい発想で、人々により豊かな生活を。そうした姿勢は、かつて人気を博した他の家電品にも見られます。たとえば1954年発売の、洗濯物がよじれずムラなく洗える二重噴流式洗濯機。また、サイレントファン、全密閉モーターなど度重なる改良を経て、起動用機構を本体に収容することに成功した1955年のデルタファン型扇風機。
そして、今。独創性へのこだわりや探求心は変わることなく、富士電機は環境とエネルギーの分野で、さらなる豊かさへの貢献を続けています。