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エピソード1.DNAを、紡いだ絆。
エピソード1.
DNAを、紡いだ絆。
富士電機のDNA。それは、創業のさらに36年前、2人の人物の出会いが始まりでした。1人は、「明治の銅山王」と呼ばれた実業家で、古河グループの基盤を築いた古河市兵衛。そしてもう1人は、「世界における電機業界の覇王」と言われていたドイツ・シーメンス社の派遣員、電気技師のヘルマン・ケスラー。
今を遡ること130余年前の1887年(明治20年)日本への進出を図るケスラーは、鉄道もなく、車道さえも不完全な山奥、市兵衛の経営する足尾銅山に赴きます。日本の鉱山状況を調査するかたわら、市兵衛に対して電気に関する説明と、自社製品の特長を熱く語るケスラー。海外の知識と鉱山開発技術で新しい時代を拓こうと、その話に聞き入る市兵衛。2人の熱意が交錯した瞬間でした。そして、一代で事業を広げた市兵衛、進取の気性にも富んでいたのでしょう。まったく会ったこともない、しかも外国人を相手に、即座に、粗銅を電気分解して純銅をつくるための発電機とボイラー一式の売買契約を結んだのでした。これは「日本における電気分解事業の先駆け」であり、さらにその翌年には日本初の水力発電設備と、まさに、現在のステートメント「Innovating Energy Technology」を地でいくものだったのです。
その後シーメンス社は日本法人を設立するまでに発展。第一次世界大戦後の大恐慌による協議の見直しや、シーメンス社の技術導入を狙う多くのライバル会社の攻勢にも関わらず、古河電気工業とシーメンス社による資本・技術提携により、1923年(大正12年)8月29日、富士電機製造株式会社(現 富士電機)として創業にいたりました。古河の「ふ」とシーメンスの「じ(シーメンスはドイツ語読みでジーメンス)」。両社の深い絆は、私たちの社名にも表われています。