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エピソード4.自販機で支えた、大阪万博。
エピソード4.
自販機で支えた、大阪万博。
戦後昭和の2大イベントといえば、1964年の東京オリンピック、そして1970年の大阪万博と言っても過言ではないでしょう。海外から76ヶ国および国内32団体が参加。大阪府千里丘陵に広がる約330ha(甲子園球場約83個分)の敷地に科学の粋を集めた116のパビリオンが立ち並び、広場やホールで繰り広げられた催し物公演数は2880回。また、動く歩道やリニアモーターカー、電気自動車、コードレスホンなどもこの万博で紹介され、多くの人に驚きを与えました。そして、そうした先端機器やサービスと並んで、来場客のドリンク用として設置されたのが、富士電機製の自動販売機だったのです。
富士電機が食品用自動販売機の開発に本格的に着手したのは1969年のこと。それまでは牛乳用だけを生産していましたが、省力化の時代を見据えてアメリカ最大の自販機メーカー、シーバーグ社と技術提携。それを契機に生産された紙コップ形式の自販機が会場各所に230台設置され、訪れた世界各国の人々ののどを潤しました。約半年間の会期中に訪れた人は6420万人超。1日平均約35万人。建物の影や売店の壁際など目立たないところに設置されたにもかかわらず、1日に1台500カップ以上、なかには800カップも売り上げたものもあり、これは一般的な街に設置された場合には考えられない数字でした。ちなみに、このとき大多数の人が初めて自販機を知り、その使い方を憶えていったそうです。
夏場の高温多湿、ほこりなどの過酷な条件にもかかわらず、休むことなく来場者をもてなしつづけ、その活躍は、万博協会から感謝状をいただくほどでした。それには、自販機の性能の高さだけではなく、自販機をつねに最良の状態に維持したサービスマンの存在があることを忘れることはできません。広大な敷地内を、たった十数人で昼夜の別なく、機械の保守、点検、調整に従事。協会からの感謝は、自販機の品質はもちろん、こうしたサービスマンたちにも向けられたものだったのです。
すぐれた機械も、それを支える人の技術力や熱意があればこそ。こうした考えは現在にも引き継がれ、モバイルネットワークを駆使した365日のメンテナンスサービスなど、人の力に先端テクノロジーを融合することで、さらに進化をつづけています。